**making**

有終の美 page 3

親ブック

  1. 人生には何が必要か。
  2. 自分にとっての価値とは。
  3. 思い描く世界。
  4. 期限付き。

 

おもうまま。

おもむくまま。

 

人生には何が必要か。

必要条件、生命の確保やら命の存続に不可欠な「もの」は置く。

当然ひとりでは生きられないから。

取り巻く環境、導き出される思想。形成されていく人格、性質。置く。

テーマが大きいと把握できない。

子どもが心身ともに成長して自立に向かう家庭、家族。

置いたんだけれども、慈しみ育てる、かな。

段階がある。

保護される時代、保護から脱却しようとしながら試みの時代、

いよいよ本格的な時代、育てられたものが育てる時代。

力を合わせて育てる命。連綿の営みと思い至っている。

置けないか、一時たりと。

気が置けない。

継続の愛でしょうか。

 

また保護される時に至って、受容の覚悟が要る。

信じることも愛、許すことも愛、任せることも愛。

勇気を発現するに土台が要る。

原動力が気持ちにあるかどうか。

 

明るい明日を思い描いて前を向けるか。

 

書きながら思い描きながら瞬間に進化していく。

 

大括りは置いてみたが血脈とか資本とかちょっと違っていた。

スパイスにはなるかもしれない。

まちがってもいいからと変化を楽しめるのは余裕だ。

基本に立ち返ると見えてくる。

洞察や瞬発やインスピレーション、選択、怯えないこと。

 

大きな愛。

見守る愛。

豊かな気持ち。

 

神だろう。

 

お賽銭箱の置いてあるようなへんちくりんなぶっとい権威的な遺物、

偶像、ある時にふっと「意識外」へ行ってしまった。

360度、ただの回転ではなくって次元が変わってしまった。

 

そこはあらためて書き込むとして。

商売は根が深いと思ったわけだ。

 

人生には、

仏壇もいらないし鳥居もいらない。

いらないものを除外して残るものが答えです。

 

ひとまずここらへんで。

散文失礼いたしました。

nadesiko

有終の美 page 2

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in Fukushima

 予定をキャンセルせずに郡山へ向かう。

紅葉の度合いが違う。

11月の紅葉を待ち受けにしてみた。

晩秋。

 

次女は子守りと習字教室その他。

三女はママさんバレー、出張、CM撮影その他。

長女は福島行きその他と元々のスケジュールをこなす。

 

なんていうのだろう。

夫や息子たちも忌引きということでゆっくりできていた。

日常的なものになんて呑気なのって思ってしまう。

 

気持ちだけは執着なんだな。

父の生死に。

絶対に後戻りできないことに振り返りばかりする。

だからblogまで始めてしまった。

父の生き死に、父との別れは始まりのようなものだ。

父には生きていてほしかった。

 

執着至極。

次女はまだ涙する。

私の喪主になり代わっての挨拶中には正月を一緒に迎えたかったと。

どこまでも切がない。

 

11月に執着する。

有終の美 page1

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母の家計簿

 長年の記録が震災後に廃棄された。

半世紀もの記録、母の人生そのもの。

残された五冊。

平成26年、27年、28年、29年、30年。

西暦2014年、2015年、2016年、2017年、2018年。

両親は年金収入があっても非課税で誰の被扶養者でもなかった。

一番そばに住む三女に数年来「扶養に入れたら」と伝えるが済んでなかった。

五冊の家計簿が示すもの。

ヒント、ひらめき。

伝え方。

確定申告を三女の夫は毎年マラソン走って寄付する額のみしていた。

(熊本でそういうマラソンがあるらしい)

年末調整は終えている。

私は五年分の修正申告ということでできるらしいと踏んだ。

三女の夫、自分の母親を扶養に入れられないのに、

なんで奥さんの父母を自分の扶養に入れなければならないの?

と聞いてきた。

そこ、突っ込みどころじゃないから。

 

そもそも扶養に入れるとは、世話をする義務が発生するとかではないから。

伝わる、伝える、言葉の迫力とか、熱意とか、信頼とか、

それもちがう、ちがいます!

ただの読み違い、思い違いの部類。

 

あの紙のウラ、読んでないなと。

あれですよ、扶養控除等申告書のウラの薄くて紙面いっぱいの文字、

あれ読まなきゃ。

 

母の家計簿には、食費や交際費などと分けられて医療費も分類されていた。

ページごとに、月ごとに横計、縦計がされ、年〆めもされていた。

医療費拾い出せる。

待てよ、妹の夫のお母さんも・・・

施設に居るにしろ、家計がいっしょかどうか、だから、

入れられるじゃん、入れられること思ってもなかったんだ!

 

運転免許もない八十歳越えてて、七十歳からオッケーなんだよ。

職場から一回断られたって。だいぶまえに。

 

 

伝えただけで、やるわけないね。

後でわかったけれど、まず年末調整に書き込めばよかったそうだ。

ここ最近は自治体の役場でも税理士さんの説明でもそうだ。

実情がお財布が一緒ということが大事なのだ。

 

私が同居前の夫の母を自分か夫の別居老親として最初に扶養家族としたのは、

平成24年だったと思うが、給与収入が二箇所からあったための確定申告の際。

母の介護申請の前後でもあり、先での同居を踏まえて尋ねすんなりではなかったが、通った。通ったにせよ、厳しいという感じはあった。

さて近年消費税も上がり、働ける世代は働いてくださいという政府の方針も影響してか、別居老親の扶養はたやすくなったという感じがしてる。

働く人々を取り巻く環境、税法の解釈、ずっと同じではないと。

 

sono1 収入もいつまでもあるわけじゃない、特に今が有終の美。

sono2 震災時は完全に同居している。

sono3 同居する目的で建てた夫婦の家。

sono4 三老親ともに収入の高い夫の扶養とするほうがよい。

sono5 扶養家族込の医療費が増。さらに年々増。

sono6 実際には更生の申告。

sono7 三老親の五年分の年金の源泉徴収票が要る。

 

客観的にも言葉通りに扶養している。

そこまで気持ちの面も金銭的にも不安がなかったということ。

 

山が動いたのは妹の夫の母が扶養家族にあたると分かったから。 

どんだけ。

やれやれ。

 

驚いたのは、夫の母の年金はほぼ国民年金、、、少しの上乗せだけで。

生活に事欠かず貯金で悠々自適。優良国民!?すごい!と思った。

むしろ国からは喜ばれるべき存在!

見ちゃった。

 

両親のもとに通うことでまず立ち入ることのないそういった懐具合にまで関わった。

親がいてくれて子どもらをつないでくれる。

 

母の家計簿の記録はすばらしくって感動もので、そのあたりに話、また次回。

 

また今回は妹家族と両親、妹の義母が納税の面では、ひと括りの家族となっていく、

それには、税務署に掛け合う必要があったわけです、そのあたりも。

天敵みたいに現れた税務署職員の方(相性ですかね)、聞くも涙なんですよ。

また、そこいらへん次回。

 

 準備いたしましょ。

図解・表解 確定申告書の記載チェックポイント(令和2年3月16日締切分)